デンタルマガジン88号鼎談(1996年10月20日発行)
子供の歯の保健と対策
求められる歯科医療に対する意識の変革
増原 英一 総合歯科医療研究所所長
大森 郁朗 鶴見大学歯学部教授
志村 則夫 東京医科歯科大学歯学部助教授
近年、国民の歯科医療に対する意識の変化には著しいものがあり、口腔の健康に対する関心も高まるばかりである。わが国ではすでに高齢社会を迎え、「8020運動」等で歯の大切さを訴えているが、80歳で20本の歯を残すためにも、子供の頃からの口腔衛生管理は不可欠である。成人するまで健全な口腔内環境を保つことができれば、生涯、それを維持することも可能であり、そのためにも、修復処置を最小限の侵襲で済ませ、エナメル質をできるだけ保存する意識と努力が必要である。21世紀を目前にして、欧米でも歯科医療は対症治療の時代から予防治療の時代に変革される時期に来ている。
そこで今回は、長年にわたって小児歯科医療に携わってこられた鶴見大学歯学部教授・大森郁朗先生と、予防と免疫に関する研究を進めておられる東京医科歯科大学歯学部助教授・志村則夫先生をお迎えし、従来の歯科医療が見落とし、軽視してきた観点を通して、これからの「子供の歯の保健と対策」について、貴重なご意見をお伺いした。
子供の歯の健康を守る
増原 本日はお忙しいところをご出席いただきまして、有難うございます。今までの歯科医療は、どうしても対症療法的、あるいは局所的な処置が主体であったわけですが、最近は、ようやく体全体の健康という視点から歯科医療が論じられるようになってきたと思います。今回は、小児歯科の大森先生と予防歯科の志村先生にご出席いただきましたので、それぞれの立場から、これからの子供の歯の健康についてのお考えをお話しいただきたいと思っています。志村先生は、「歯周病より恐い歯みがき病」という本を書いておられますが。まず、その趣旨からお願いします。
志村 私は、食べたら磨くということについては、とても大切なことだとは思っていますが、あまりに管理が行き過ぎになると、虫歯は減っても、他のアトピー性皮膚炎とか、自主性を持たない子供になってしまうという問題があると思っています。そういった問題について、歯科の保健を通して何か研究できないかと考えていた時に、鶴岡の石黒先生から学校歯科をやらないかという薦めがあり、鶴岡の第六小学校というフィールドで15年間にわたって調査をさせてもらったわけです。そうすると、朝御飯をきちっと食べない子、夜寝る時間が決まっていない子、人に起こされないと起きない子等、生活のリズムが狂っていたり、自主性に欠ける子に虫歯が多いというデータが出たのです。逆に、生活を規則正しくすると、口の中の清潔度だけでなく、他の面の健康度も上がることがわかりました。この本で「歯磨きにこだわりすぎないで」と伝えたかったのです。
増原 そういったフィールドワークから、本質がわかってくるのでしょうね。大森先生はいかがですか。
大森 子供の歯の問題を語る時によく言われることに、甘いものを食べるから虫歯になるんだというようなことがあります。私は小児歯科医療に従事してから39年になりますが、一度も「甘いものを食べてはいけない」と言ったことはありません。それは、歯科医師側の一方的な意見ですし、大人は食べて、子供だけに食べさせないのは不公平ですしね。また、甘いものを食べるということは、カロリーとかの栄養的な問題だけではなく、心の安らぎをもたらす大事な食生活の一要素ですから、子供に甘いものを与えないということは、子供の性格自体を歪めてしまうことにもなりかねません。私は、小児歯科医療を考える時には、やはり子供の心の発達や体の発達に適応したものでなくてはならないといったフィロソフィーのもとに、長年医療に携わってきました。最近、ようやく歯科医療も体全体の中の一部として、他の臓器や器官の機能にも配慮が必要な医療だという認識が浸透しつつあるように思います。
志村 私が学生の頃は、それこそ虫歯だらけで、そういう状況を解決するには、やはり甘いものを制限するとか、歯磨きを徹底するとかということだけに終始してしまったのも無理のないことだったかもしれません。しかし、現在では、甘いもの等を食べて、ホッとして唾液が出て、楽しいなぁと思った時には、β-エンドルフィンというハピネス・ホルモンが出て口腔内のバイ菌をやっつける能力が高まるということも明らかになってきましたので、適応力を高めるという意味でも、甘いものを制限してはいけなかったんだなと思っています。
口腔内を常に清潔にする
生活習慣を身につける
増原 確かに、あの時代は虫歯があまりにも多くて、ケアが行き届かなかった時代だったと思います。最近では、子供の口腔内の管理に対する母親の意識もレベルアップしましたし、少子時代を迎えて、子供の口の中まで母親が気を配れるような時間的・経済的余裕が出てきたことも大きな変化だと思います。ところで、志村先生がオーストラリアに留学された目的は何だったのでしょうか。
志村 一番の目的は、「虫歯予防」と「免疫と癌」の研究でした。私の学生時代には、オーストラリアやニュージーランドは、先進国の中でも、とても虫歯の多い国でした。ところが、行政が医療機関の整備や人材の育成に努め、デンタルナース・システムという、早期発見・即時治療のシステムを構築して、一次予防に大変な効果を挙げていたのです。そういった、早期予防のシステムも学びたいと思っていました。
増原 ところが、ニュージーランドは、ある時期には効果があったけれども、学校歯科での管理が終わった後の大人にはカリエスが増加するなどの問題が出てきたということを聞いていますが。
志村 私も17年前に、WHOの要請で先進7カ国の歯科医療の比較研究をさせていただいた時に、そのデータを討論したことがありますが、デンタルナース・システムによって、確かに虫歯は早期に治療されていましたが、16歳になって自分のお金で治療しなければならなくなると、放置してしまうんですね。それと、やはりあまりにも侵襲しすぎて治療が過度になり、主体性がなくなってくるということもあったと思います。
大森 主体性ということで共通していると思うのですが、「歯を磨きなさい」と母親にやかましく言われなくても、自発的に、口の中をいつもきれいにしていないと気が済まない感覚を生活習慣として身につけることが一番大事だと思っています。その上に、そういう習慣を身につけていない子供達でも、口の中が虫歯予防に適した環境をつくれるような社会的施策が欲しいと思います。
増原 それは、具体的にはどういう施策でしょうか。
大森 例えば、フッ素洗口などが普及して、子供達の虫歯が減少し、その子達が大きくなって、また子供を産み、そしてその子供達がまた虫歯の少ない環境で育つという、いい循環が生まれているのが新潟県でみられるわけですが、そういった、いつも微量のフッ素が口腔内に存在するという環境が望ましいんですね。そのような環境作りに一番いいのが上水道フッ素化です。アメリカでは上水道のフッ素化、フッ素入り歯磨剤の普及、あるいはシーラント塞によって、最近のデータでは100人に60人がカリエス・フリーという報告があります。その影響でアメリカの歯科大学の中には閉鎖になった学校がありますし、募集人員を減らした学校もあります。そういった現象を現実に見た時、日本の虫歯予防に対する社会的施策、あるいは口腔保健に対する社会的施策の欠如というのは、何とも歯がゆいと思っています。
口腔診査の情報を
母子によく理解させる
増原 そうですね。スウェーデンのダグラス・ブラッタール教授が口腔診査を基にした予防プログラムを提唱していますが、やはり、子供の歯を守るためには、歯科医師が口腔診査をきちっと行って、その情報を母子で理解していくことが重要になってきますね。
志村 子供と母親、そして歯科医師がコミュニケーションをとりながら、何でもすぐに大きく侵襲を加えることなく、フッ素やシーラントで管理をしながら生活を観察していくというやり方は非常に大切だと思います。その際の手段として、ブラッタールの言っているように、プラークの量とか唾液の量とかを診査し、生活との関係をわかっていくということになるのではないでしょうか。
大森 小児歯科医療というのは、まずその現状を把握して、それを母親や子供によく話して理解させる、そういうコンサルテーションのステージがすごく大事だと思うのです。歯医者さんに行くと、待合室があって、その次はすぐに治療室というパターンによく現われていると思うのですが、診察というステップが抜けているケースが多いのです。それと、日本人の成人の口腔内をみると、ペリオと虫歯が混在していて、どっちから手をつけたらいいか分からないという状態です。本来、虫歯は成人になる以前に小児歯科医療で解決する必要があるのであって、成人になったら虫歯はアンダー・コントロール、そしてペリオの予防と治療に主力がおけるようになれば、成人歯科医療はもっと因子が単純化されると思います。
増原 イギリスのブリストル大学のリチャード・エルダートン教授も言っていましたが、子供の頃に、まじめに歯医者に行って治療を受けた子ほど、歯を多く削られて、歯の寿命を縮めている。今の歯科治療は、健全な歯質を削り過ぎるんですね。もっと、免疫の問題とかも含めた予防に力を注ぐという方向に向かわなければいけないのですね。
大森 医療の基本は予防であって、医療担当者はそれに現実的に対応していかなければならないわけですが、そのためにも、歯科医師だけではなく、歯科衛生士も組み込んだ医療システムが必要です。削ってなんぼというような現状の保険システムは改めて欲しいと思います。
志村 免疫的な検査とか、母親と子供のコミュニケーションとかは間違いなく虫歯を減らすのに役立ちますが、開業医の先生方とお話すると、それなら保険の点数を誘導しろ、ということになります。
シーラント填塞を任せ
衛生士の能力を引き出す
増原 確かに、開業医の先生方は忙しいですから、やはり、そういった問題は大学の先生方が頑張って保険に導入しないといけないのではないでしょうか。ところで、予防の一つの手段であるシーラントですが、保険にも入っていますし、健全なエナメル質を侵襲しないためにも、もっと普及させなければいけないと思いますが。
大森 それにはやはり、基本的なテクニックをもっと普及させる必要があるのではないでしょうか。例えば、エッチングして、水洗して、乾燥した後に、唾液がついても、まあいいか、というようなことでは駄目なんですね。それから、歯科衛生士を上手に教育して、シーラントに関しては衛生士に任せるといった方向に向かうとよいと思います。衛生士はすごく真面目に取り組みますし、教科書通りに、とても上手にこなします。
衛生士の能力を引き出すためにも、アメリカのように、診療室を1部屋与えて、やりがいのある仕事をしてもらう必要があると思います。
志村 本当にそうですね。日本の歯科医は歯を削って詰めたら、何か治療をしたという気になりますが、シーラントに関しては、もう一つ治療をしたという感覚を持っていないのではないでしょうか。
増原 そういう意味でも、シーラントは衛生士にやってもらうのが良いのかもしれませんね。
大森 小児歯科の臨床で利用されているティースメイトF-1は、小窩裂溝の保護だけでなく、周辺エナメル質へフッ素を供給して、歯質の耐酸性を向上させることも知られています。シーラントの性能も向上していますし、これを上手に使いこなす優秀な衛生士の活動は、今後の小児歯科医療で大きな役割を果たしてくれるものと思っています。
志村 PMTC(プロフェショナル・メカニカル・トゥース・クリーニング)は、予防も含めた口腔衛生管理システムには欠かせないものになってくるでしょうね。
増原 今、日本では「8020運動」が推進されているわけですが、これを達成するためにも、子供の歯を守っていかなければならないと思いますが。
志村 私は「歯磨き病」の本に書きましたが、本当は歯をきちんと磨いてくれることを望んでいるわけです。ただ、現状の「歯は大切だから磨きなさい」では、靴を磨く、洋服をきれいに整えるというようなレベルとあまり変わらないような気がするのです。「歯というものは“いのち”そのものであって、生きていて、不安や緊張といった情動の変化や自然の変化と呼応して、刻々と変化しているんだ」といった教育に進むべきだと考えています。歯を死んだ存在、石のように捉えるのではなく、歯を通して“いのち”を大切にしたいという思いを育てたいと考えます。これは倫理の問題です。歯磨き行為で虫歯や歯周病を予防するだけではなく、人間的成長が期待されるべきです。
エナメル質は
できるだけ破壊しない
大森 私のフィロソフィーをもう少しサイエンティフィックに言うと、エナメル質は唾液という環境とホモジーニアスなんだという考え方です。つまり、少しのエナメル質の喪失は、口腔内環境が健全であれば唾液がそれを修復してくれるという、相互関係が成り立っている環境であり、歯というのはそういう臓器なんだということです。ただ、日本人の口腔内環境は、そういったフィロソフィーが素直に生かされない状況なんですね。やはり、子供のうちから口腔内をいつも清潔に保つ感覚を生活習慣として身につける環境を日本でも育てなければいけないと思っています。
増原 やはり、エナメル質を削り過ぎる治療が問題なわけですね。
大森 長年のブラックの窩洞のイメージがありますからね。しかし、エナメル質がなくなると、歯というものは「因幡の白兎」でかわいそうな状態だという認識をもっとしっかり持つ必要があると思います。象牙質だけでは口腔内環境は維持できないことは明らかですし、最近の象牙質接着性レジンによる対応も、残念ながら、大事なエナメル質を削ってしまった後の補助的手段にしかなり得ないと感じています。
志村 私もそう思います。フルキャストで金属を置いた場合と、エナメル質が少しでも残っていて修復した場合との違いを、歯根膜の物理的な影響だけでなく、味を含めた感覚や脳へフィードバックされる情報等についても、今後は研究を進めていく必要があるのではないでしょうか。
増原 ペリオなどでは、ポケット探針や動揺度の測定が保険のレールに乗っていますが、カリエス・リスクの測定なども保険に導入すべきでしょうね。
志村 カリエス・リスクを唾液の量とかミュータンス連鎖球菌を測るとかのシステムがきちんとできて、それが保険点数につながれば、やはり指導にも迫力が出てくるでしょうね。
大森 適正な保険点数評価が得られれば、自然と簡単に歯を削ってしまうという治療行為も減少していくだろうと思います。
増原 最後に、子供の歯の健康を考える上で、学校歯科保健は大変重要な位置を占めていると思いますが。
大森 小児歯科では、定期検診をベースにしていますから、成長発育過程にある咬合機能等も含めて時間をかけて観察していこうという医療システムがありますが、今回、学校歯科保健でも経過を観察しながら判断しようという考え方が導入されたことは大きな進歩だと思いますね。
志村 今までの、探針で虫歯を見つけだして、それで終わりといった保健活動から見ると、本当に大きな進歩だと言えますね。
大森 シャープな探針でエナメル質をつついて破壊してしまうと、エナメル質の再石灰化の可能性が失われるわけですから、検診にも十分注意してほしいですね。
増原 これまでの発想を変えて、子供の歯を守るための思い切った取り組みが必要であることがわかりました。本日は貴重なお話を伺わせていただき、本当に有難うございました。