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シグノシリーズ 開発者インタビュー PART.1 「Signoシリーズ」誕生の 秘密と進化の系譜

チェアユニットにおけるデザイン性の高さが示すもの
「Signoシリーズ」が40年にわたって愛され続ける理由とは

モリタ東京製作所が製造するチェアユニット「Signoシリーズ」が発売から40周年を迎えました。
競争が激しいチェアユニット市場で、デザイン性に活路を見出し、さまざまな創意工夫に取り組んできた設計開発スタッフたち。そのエンジニアたちの取り組みについてのインタビューを三部構成でご紹介します。

第一弾

「Signoシリーズ」誕生の秘密と進化の系譜

  • 中山 真一
    中山 真一
    株式会社モリタ
    東京製作所
    代表取締役社長
  • 田村 俊文
    田村 俊文
    株式会社モリタ
    東京製作所
    取締役
    製造企画本部長
    /生産技術本部長

インタビュー前半
「Signoシリーズ」はいかにして生まれたのか

「Signoシリーズ」の歴史をもっともよく知るお二人に、「Signoシリーズ」が生まれた経緯についてお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします

中山:

私が入社したのは1979年。初代「Signo」の販売が始まったのが1984年のことです。「Signo」の設計開発が始まった当時、私は研修が終わってようやく部署に配属されたところで、実は「Signo」誕生の経緯はほとんど分からなくて、外野から眺めているだけだったというのが実情です。その後も私はインスツルメント関係の製造に関わっていて、チェアユニット自体にはそれほど関わっていませんでしたが、「Signo」の少し前に「ADONIS(アドニス)」というチェアユニットが販売されました。その「アドニス」の頃から、会社としてデザイン性に注力していこうという流れがあったように思います。
「アドニス」以前には「MARMAID(マーメイド)」や「DIANA(ダイアナ)」という機種もありました。「マーメイド」は弊社で販売した最初のチェアユニットです。それより前は「REGINA(レジーナ)」という立位のユニットにチェアが付属されたタイプでした。「マーメイド」や「ダイアナ」の開発にもおそらくデザイナーが関与していたと思いますが、私はその方とはお会いしたことがありません。
入社後の社内研修では、加工や塗装、組み立てなどいろんな部門を回りましたが、その時にちょうど「マーメイド」を製造していて、「こんなに大きいものを加工しないといけないのか」と驚いたものです。当時はチェアユニット全体がアルミの鋳物でできていて、とても大きくて重かったんですよ。その加工に携わっていた記憶と、その加工したものを次の塗装部門で、水砥ぎ、塗装していく一連の工程を私は「マーメイド」で体験しました。

田村:

私はそれから少し後の入社ですので、そのあたりのことはまったく分かりません。実際に開発に携わったのは1992年発売の「Signo LX-1」からです。「LX-1」以前は、修理やメンテナンスを担当するサービスマンが東京と大阪に1人ずついるだけで、私はその頃マイクロモーターの設計を担当していたのですが、チェアユニットの修理のために駆り出されて国内のいろんな地域を回っていました。

  • 『REGINA(レジーナ)』1968年〜1987年
    『REGINA(レジーナ)』
    1968年〜1987年
  • 『MARMAID(マーメイド)』1976年〜1983年
    『MARMAID(マーメイド)』
    1976年〜1983年
  • 「DIANA(ダイアナ)」1977年〜1987年
    「DIANA(ダイアナ)」
    1977年〜1987年

「アドニス」の誕生に関して何か特別な思い出はありますか

中山:

『ADNIS(アドニス)』982年〜1987年
『ADNIS(アドニス)』
1982年〜1987年
もともと日本の大手自動車メーカーでデザインされていたデザイン会社に依頼してできたのが「アドニス」です。デザイン的にはかなり洗練されていて、先生方からの評価も高いチェアユニットでした。ただ、当時依頼したデザイン会社がまだそれほど歯科の事情に精通していなかったこともあって、その後いろんな問題が発生しました。例えば、製品写真を見てもらえれば分かるように、背板がとても厚くボリューム感があって、いざ治療しようとすると背板の下に先生の膝が入らないことがあったり、インスツルメントのチューブが床に付いてしまうのを避けるためにトレーテーブルの中にチューブを巻き込む仕様を採用したのですが、この機構があとあとトラブルの種になって、その後対応にかなり苦労しました。
ただ、「アドニス」ではいろんなチャレンジを試みました。ウレタン成形という手法を日本で初めて採用しましたし、タービンをワンタッチで接続できるアダプターも導入しました。オペレーティングライトも弊社独自に開発して、そのデザインも「アドニス」のデザイナーにお願いしました。そのライトが重たくて支えきれずに下に垂れてきてしまうなど、いろんな問題はありましたが、とにかく当時できることを「アドニス」で試してみたということはありますね。
『ADNIS(アドニス)』1982年〜1987年
『ADNIS(アドニス)』
1982年〜1987年

当時としてはかなりスタイリッシュなデザインに感じます

中山:

中山 真一
中山 真一
私はとても好きでしたよ。歯科用のチェアユニットというよりインテリアファニチャーのようなイメージでデザインされたのではないかと思っています。あと、やはりどことなく自動車っぽいイメージも感じますね。
中山 真一
中山 真一

チェアユニットのデザイン性に注力されるようになった理由は何でしょう

中山:

同じモリタが販売するチェアユニットでも、京都のモリタ製作所が製造する「スペースライン」はDr.ビーチのコンセプトに基づいた人間工学的なデザインで、確固としたブランド力を持っていました。一方、弊社では他のチェアユニットメーカーと同じ土俵で戦わなければいけない状況でしたから、その中で差別化を図る意味で、機能面に加えて外観のインパクトは必要だという判断に至ったのだと思います。


初代「Signo」誕生、そして「Signo LX-1」へ

そして1983年に初代「Signo」が誕生、翌1984年から販売を開始します

中山:

「アドニス」の教訓を得て、満を持して発売されたのが初代「Signo」でした。デザインも「アドニス」と同じデザイン会社に依頼しました。「アドニス」で起こった問題点を一掃するべく、まさに弊社が持てる技術を結集したエポックメイキングな製品だったと思います。

「Signo」という言葉にはどういう意味があるのでしょう

中山:

「Signo(シグノ)」1984年〜1988年
「Signo(シグノ)」
1984年〜1988年
詳細はうろ覚えですが、確か「シグナル」という言葉がベースだったと思います。命名は社内で行いました。「Signo」の開発には専門のプロジェクトチームを立ち上げました。製品開発において、専門のプロジェクトで臨んだのはおそらく「Signo」が初めてだったと思います。技術開発や、品質管理、生産技術などの各部署から選出されたスタッフがかかりきりで、「Signo」の設計開発に当たっていたのを、私は遠くから眺めていました。もちろんデザイナーも頻繁に弊社に来てデザインのすり合わせも行っていましたし、成形品を製作する際にはその業社まで一緒に出向いて、自分の手で触って納得いくまで確認していました。
「Signo(シグノ)」1984年〜1988年
「Signo(シグノ)」
1984年〜1988年

「Signo」の開発にはどの程度時間がかかったのでしょう

中山:

構想期間はおそらくそんなに長くはなかったと思います。いちばんには「アドニス」以降デザイナーが歯科事情を深く理解するようになったことで、自身のデザインコンセプトやポリシーというものが、すでに頭の中にあったからだと思います。

初代「Signo」の評価はいかがでしたか

中山:

とても良かったですね。まず初期の不具合に伴うクレームはほとんどなかったのではないかと思います。「アドニス」以前から蓄積されてきた諸問題をほぼすべてクリアできたことが大きかったのではないでしょうか。さらに「アドニス」で採用したタービン類をワンタッチで接続できるアダプターがとても好評で、この構造自体は現在も受け継がれています。そしてその後「Signo」は、「Signo GRAND(グランド)90」や「Signo 203」へと進化していきます。

  • 「Signo GRAND(グランド)90」1986年〜1993年
    「Signo GRAND(グランド)90」
    1986年〜1993年
  • 「Signo 203」1990年〜1994年
    「Signo 203」
    1990年〜1994年

そして1992年に「Signo LX-1」が登場します

中山:

「Signo LX-1」>1992年〜1996年
「Signo LX-1」
1992年〜1996年
「Signo LX-1」は、それまでのSignoシリーズから構造やデザインを含めてすべてが一新されました。いちばん大きな変更点としては、それまでのチェアユニットでは、背板を両側2つのヒンジで支えていたのが、「LX-1」では片側一つに変更になったことです。
「Signo LX-1」>1992年〜1996年
「Signo LX-1」
1992年〜1996年

田村:

ようやくこの頃から私もチェアユニットの設計開発に関わるようになります。ただ、先にお話ししたように、修理やメンテナンスのサービスマンが東京と大阪に1人ずつしかいなかったので、私も電気関係の担当者として駆り出される状況が依然として続きました。

中山:

電気関係のサービスマンは当時かなり少なかったので、重宝がられたのだと思います。その頃までは、リレーを使って駆動させる機構が多かったのですが、「LX-1」の頃から基板を使用するようになったんですね。そうすると、当時のサービスマンはその機構に慣れていなくて大変でした。そこで開発担当者がトラブルの現場に駆けつけることが多かったんです。

「LX-1」の開発におけるエピソードなどがあればお聞かせください

中山:

「LX-1」のときも確か専門のプロジェクトチームをつくって、設計開発に取り組んでいたと思います。あの頃はおよそ2年に一度の割合でマイナーチェンジを行って、3, 4年目にはフルモデルチェンジを実施するようなスパンでチェアユニットのリニューアルがはかられていました。マイナーチェンジの例で言うと、スピットンを陶器に変更したりといった部分的な違いを出していくイメージです。その後、弊社としても先生の使い勝手やデザイン面も含めて、「Signo」を一新しようということで開発されたのが「LX-1」でした。
この「LX-1」を初めてみた時はかなり衝撃的でしたね。これまで「Signoシリーズ」をデザインしてくれたデザイナーによるものですが、片側ヒンジだけでなく、シートカラーもこれまでと違っていて斬新な色づかいで、そのことにも驚きました。

田村:

田村 俊文
田村 俊文
「LX-1」では、患者さんの座り心地や先生の使い勝手という部分で、これまでの製品以上にこだわって開発されました。私は制御基板などを開発していたのですが、この「LX-1」では技術者同士のミーティングも頻繁に行われていたことを覚えています。
田村 俊文
田村 俊文

「LX-1」におけるデザイン面以外の評価はいかがでしたか

中山:

「LX-1」はデザイン面だけではなく、マイクロモーターをはじめ、ハンドルなどのパーツも取り外してオートクレーブが可能になるなど、機能的にも新しい試みが盛り込まれました。

田村:

また、なんといっても内部の機構がシンプルで、サービスマンがメンテナンスしやすいということも大きな利点だったと思います。ですので、現在も引き続き診療でお使いの先生はいらっしゃると思います。