100号 AUTUMN 目次を見る
目 次
- ≫ 日本の歯科界を変革したスペースラインと接着性レジン
- ≫ 優れた技術力を持ったモリタとの出会い
- ≫ インターフェースが二人共通のテーマ
- ≫ 想像を絶する反響を得たスペースラインの発表
- ≫ 正確なコントロールを実現する水平位診療
- ≫ 人との出会いが幸せを招く
- ≫ タイプ1の診療台「フィールイーズ」の開発
- ≫ 情報システムの普及、確立で21世紀の新しい歯科医療をめざす
- ≫ 21世紀はトータルヘルスケアの時代になる
いよいよ20世紀も終わりに近づき、新しい世紀・21世紀が幕をあけようとしている。歯科医療にとって、20世紀後半の50年間は、歯科器材とそれに伴う歯科技術が飛躍的に発展した時期であった。その中でも、我が国でオリジナルに開発され、世界をリードしてきたものに、従来の術者立位・患者座位の診療姿勢から、術者座位・患者仰臥位の姿勢である水平位診療をスタンダードにしたスペースラインと、充填用即重レジンやアマルガム充填による二次齲蝕や急性歯髄炎の防止を発想の原点にして開発され、現在の審美的接着修復治療を現実のものとした接着性材料がある。今回の対談では、デンタルマガジン創刊100号を記念して、長年にわたって日本の歯科界に多大な貢献をされてきた、スペースラインの開発者であるダリル・レイモンド・ビーチ先生をお迎えし、接着性レジンの開発者である増原英一先生とともに、21世紀の歯科医療にかける夢を語っていただいた。
日本の歯科界を変革したスペースラインと接着性レジン
増原英一増原今日は、お忙しいところをご出席いただきまして、ありがとうございます。
早いもので、四半世紀以上前に創刊された「デンタルマガジン」も20世紀最後の発刊となるこの号で、ちょうど100号を迎えます。
これを記念して、先日、春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章されたビーチ先生をお迎えし、新しい世紀に向けての日本の歯科医療の展開について、お話を聞かせていただきたいと思います。
戦後の日本の歯科界で独自に開発された技術革新として、水平位診療のスペースラインと接着性レジンの2つの開発があげられます。
ビーチ先生は日本で水平位診療を開発されたわけですが、日本とのかかわりは、1952年から1957年まで、横須賀海軍病院で口腔外科医として勤務されていたことが最初だと伺っています。どうして日本で勤務されることになったのですか。
ビーチ日本で活動することになったのも、また後に「水平位診療」と命名されるようになった診療の形をつくり上げたのも、予め計画していたわけではないのです。
なぜ歯科医になったかといいますと、子供時代は農場で育っていまして、大学に行くつもりはなかったのですが、たまたま高校の時、大学に行くための奨学金をもらえる試験に受かりました。どの学部に進むかを申告する面接を受けたときに、自分は農業を勉強するつもりだったのですが、面接前の待合室にいた高校生が「農業では奨学金は出ない。政府が奨学金を出してくれるのは、工学部、医学部、歯学部、理学部だ」と言うのです。彼に「君はどの学部に進むのか?」と聞くと、「親父が歯科医だから歯学部希望だ」と答えました。それで、自分も面接室に呼び込まれて、「どの学部に行きたいですか?」と聞かれたときに、即座に歯学部と答えました。
日本に来たきっかけは、奨学金を受けた者は大学卒業後、海軍か陸軍のどちらかに入って、軍属として仕事をすることが条件になっていましたので、私は海軍に入りました。海軍に入ったものの、船で歯科医の仕事をするのがいやで、何とか基地に配属してもらおうと頼みに行ったところ、「横須賀の海軍病院が世界でもトップだ」と言われたので、「じゃあ、お願いします」ということで、横須賀の海軍病院に配属になりました。
増原横須賀に来られて、日本の各歯科大学の先生たちとのコミュニケーションが始まったわけですが、水平位診療というものについて、どういういきさつでこれを発想されたのでしょうか。
ビーチ水平位診療というアイデアが生まれたのも、偶然と言えば偶然です。大学時代に私のスキーのインストラクターをしてくれていた男性が歯が悪くて虫歯だらけだったのですが、お金がなくて、きちんとした診療所に行けない人でした。
歯学部の学生はモーターは自分で買って所有していて、家に持って帰ってもいいことになっていたので、自宅にモーターを持って帰り、彼の治療をしてあげることにしたのです。
チェアーも何もないですから、床に寝てもらって、私も床にあぐらをかいた格好で座って、膝の上に枕みたいなものを置いて、仰向けで治療をする方法を見つけたのです。それが患者さんにも、自分にも最も楽な方法でした。
また、海軍病院で外科手術を担当していたときは、傷病兵の手術は全身麻酔下で、首から下は一般外科医が、首から上は私が担当するというかたちでしたので、手術台で患者さんはみんな水平に寝ているわけです。
その後、一般診療に移った際も、これが一番楽で正確に治療できる方法だと確信しました。
優れた技術力を持ったモリタとの出会い
増原ビーチ先生は横須賀海軍病院にいるころから、日大歯科へ講義に行っておられたようですが、どういうきっかけでモリタとのコネクションができたのですか。
ビーチ当時、高速ハンドピースを私が初めて日本で紹介したということもあって、モリタだけでなくて、いろいろなメーカーからハンドピースが持ち込まれておりました。そのとき、世界のいろいろなハンドピースを試してみて、モリタの製品がベストである、と私は感じました。
モリタのハンドピースは、トルクは少し弱いけれども、非常に切れがいい、フェザータッチで楽に軽く切れる。そういう意味で、ヒューマン・インターフェースのほうを技術的な機能性よりも優先すべきことがあると思いました。
それ以来、使い心地が一番いいものを、というのが私の自説です。そういった技術面でモリタが非常に優れているということで、おつきあいが始まりました。
増原フェザータッチで切れるというのは、どういう利点がありますか。
ビーチ静かだし、手を緊張させずにリラックスした状態で切削できる、という利点があります。
ちょうど増原先生のご研究が生体組織と材料の間のインターフェースを専門になさっているとすれば、私もやっぱり別の意味でインターフェースに焦点を置いて、例えばモノと術者、あるいは術者と他の人々のインターフェースについて研究しています。
インターフェースというのが、私たちの共通の接点でありキー・ワードになるのではないでしょうか。
インターフェースが二人共通のテーマ
増原ビーチ先生が言われるように、医者にとってヒューマン・インターフェースを大切にする姿勢は非常に重要で基本的な問題ですね。人にやさしい技術ということですね。
私も「生体に対する歯科医療」を考え方の基本として、歯に対する高分子材料とのインターフェースを研究してきたわけです。
私が初めてドイツへ留学したのは1956年です。最初にゲッチンゲン大学へ留学し、そこで保存治療学の権威であったC-H.フィッシャーに出会いました。
フィッシャー教授は当時のアマルガム充填やレジン充填は2次齲蝕を発症して歯を失う原因になることを憂えていて、これを防がなければ歯科医療の責任を果たしたことにはならない、という強い信念を持っておられました。
そこで私は、高分子を用いて充填物と歯面を接着して、2次齲蝕の発症を防ぐことを発想して、フィッシャー教授と討議し、共同研究を始めたのです。
留学中の2年間は、マインツ大学の高分子教室やフランクフルトのクルツァー社の研究室を訪ねて、コラーゲンと化学的に結合する化合物を検討してきましたが、その間には見通しは得られなかったのです。
1959年に帰国してから、本格的に接着性レジンの研究に専念しましたが、レジンの重合開始剤にTBB(トリn-ブチルボラン)を用いたところ、このMMA-TBBレジンが浸潤した天然象牙に接着することを発見し、これで手がかりが得られたわけです。
だから、ビーチ先生が水平位診療とスペースラインの開発に着手されたタイミングとちょうど同じ頃ですし、基本姿勢も同じです。
ビーチいわば先生はマイクロインターフェースに専念なさっていて、私はマクロインターフェースに取り組んできたということです。
増原思う念力といいますか、執念深い努力で道が開けたわけですが、これを製品化するのがさらに大変でした。
ビーチ先生も、水平位診療のコンセプトをスペースラインの開発に結びつけ、製品化されるまでには大変なご苦労があったと思いますが、そのいきさつをお聞かせください。
想像を絶する反響を得たスペースラインの発表
ダリル・レイモンド・ビーチビーチスペースラインの第1号は、当初は大量生産して市場に出すという考えはなくて、自分の診療所のために特別注文でつくってもらいたいと思って、モリタに声をかけたのがきっかけでした。
今も憶えていますが、その頃、私は日大で教えていたのですが、2年間ほど、アラスカに戻って診療をしていたことがあって、当時の森田福男社長がスウェーデンに出張なさるときに、途中で飛行機か天候の具合で待ち時間ができ、私の診療所がアラスカの空港から近かったので、空港で短時間お会いして、私の大ざっぱなアイデアを図面にしたものを彼に託しました。
その後、それが本当にオリジナルのアイデアかどうかというお尋ねがあって、「じゃ、これでつくってみたい」という話になったんです。
増原非常にいい話ですね。スペースラインの第1号は、1963年に、アメリカ歯科医学会のアトランタ展示会で発表されたわけですが、そのときに、驚いた人もあったけれども、逆に「そんなもので治療はできない」と言った人もいたと聞いていますが。
ビーチアトランタでの反響は、今から思いますと、想像を絶する大盛況ぶりで、とにかく展示しているブースにあまりにも大勢の人が押し寄せるので、身動きもできなければ、まともにどなたとも話ができないような状況で、通路まで人が溢れて、毎日、大変な騒ぎでした。
とにかく目新しいものが出てきたということでしょう。歯科雑誌の1ページに大きなクエスチョンマークを描いた広告宣伝も大変効果的でした。
増原私は、「スペースライン」というネーミング、これも非常に良かったと思うんです。これは福男社長がその当時、考えられたらしいですが、ちょうどタイミングが世界の宇宙開発が始まった時期だったという点で時代にマッチしましたね。
ビーチ私は、自分のオフィスにスペースラインが入って、大変満足し、楽に正確に治療できると思っていたのですが、市場に出してみると、使い方がわからなくて戸惑っていらっしゃる先生方もおられるということで、コースを開催してほしい、という依頼がありました。
初めてコースを開催したのは四国でしたが、そのとき、私はあえてスペースラインのチェアーを使わないで、平らなテーブルに患者さんを寝かせて治療する方法をお教えしたのです。
一番大切なことは、術者が座って、自分の指を正確にコントロールできるように、視線もコントロールしながら治療するということであって、結果的には患者さんは寝ているのが一番楽です。患者さんが座っていると、口を開けたときに頭が後ろに傾きますので、首の後ろに緊張が生じますが、平らに寝ているとそういう緊張もありません。
後でその治療方式に「水平位診療」という名前がつきましたが、私はこの表現そのものはあまり気に入っていません。なぜなら、患者が水平になるということが目的ではなくて、術者が正確なコントロールができる条件を生み出す、というのが第一の目的だからです。
正確なコントロールを実現する水平位診療
増原スペースラインが市場に出るまでは、先生方はすべて患者さんの前に立って、立位で治療されていたんですね。
ビーチ高速ハンドピースが導入されたときに、フリーハンドで口の中に指を入れておられるので、正確にハンドピースをコントロールできないで、切削してはいけない歯を削ってしまったり、というような弊害もいろいろ出てきました。指をきちんとコントロールできる条件が必要で、立ったままではダメだ、というのが出発だったんです。
それまでの診療ユニットというと、立っているドクターの隣にトレーがあって、そこから器材をピックアップして治療するという形になっていました。
それがスペースラインでは180°その位置関係が変わったのです。手洗い用のシンクも以前は患者さんの前にあったわけですが、ドクターが患者さんの頭の後ろに座るので、そのさらに背後にシンクが位置するようになりました。
ただし、マーケット性ということから、自分が考える最適な条件から妥協したものも設計しなくてはならない事情が出てきました。
増原背中を起こすタイプになったわけですね。
ビーチはい。もともとは一般の手術台と同じように平らな台を考えていたのです。そのときに、フリーアクション・トレーを立位の先生をも考慮して設計しました。
最初のスペースラインは、そういう意味で、市場性を考えて私が最適と思う条件から少し妥協した部分もあるのですが、幸い市場では大変人気が出ました。
人との出会いが幸せを招く
増原今までのお話からすると、ドクター・ビーチと当時の森田福男社長との出会いというのが非常に大きなポイントになっているわけですね。
福男社長は非常に前向きにデンタルの発展を考える方で、接着の分野においても、日本で最初に矯正のダイレクトボンディング・システムが三浦不二夫教授との共同研究で成功したわけですが、これもやはり福男社長がぜひやろうということで、モリタグループをあげて取り組んだといういきさつがあります。
私がドイツへ留学して最も感心したことは、オリジナルな製品に対して敬意を払う風潮があることでした。クルツァー社は世界で最初に歯科用レジンを製品化したのですが、彼の製品にはオリジナルクルツァー(Original Kulzer)と書いてあるのです。しかし、外国製品に追随してきた日本のメーカーには、外国のものの二番煎じのほうが安全だという風潮がありましたからね。
その点でモリタが日本独自の新製品・矯正用スーパーボンドを積極的に採用して普及されたことは、福男社長の英断による功績だといえます。これに続いてクラレ社の新製品が取り扱われるようになり、日本で接着性レジンが大きく育ってきたわけです。
20世紀後半の日本の歯科医療は常にモリタがリードしてきた、といっても過言ではありません。
タイプ1の診療台「フィールイーズ」の開発
増原ところで、近々、ホーム・ポジション、つまり快適さを感じる位置決めを意識したタイプ1の診療台が発売されるということなんですが。
ビーチまず私がタイプ1と呼んでいる診療台と、タイプ2、3とどこが違うかというと、タイプ1は、患者さんが診療台に寝ていて、患者さんの口の昇降に従ってインスツルメントも自動的に昇降する。つまり、インスツルメントの定位置が決まっているタイプです。
タイプ2、3というのは、手動で位置を決める診療台のことです。正確に言うならば、インスツルメントのホルダーとトレーが口と定まった位置関係にあるのが、タイプ1と言っていいと思います。
従来のスペースラインは、ハンドピースやインスツルメントのチューブの出口は診療台の肩のところにあって、口と一緒に昇降しますが、それを置くホルダーはフリーアクション・トレーに付いていましたから、手で位置を決めるタイプでした。
今回、開発した「フィールイーズ」は、ホルダーも口と一定の位置関係にあるタイプ1です。
また、チューブが付いたインスツルメントのホルダーの数を、従来の5個から11個に増やしたことも、フィールイーズの特徴です。
最近は、口腔内視鏡やレジン重合用のライトが使われるなど、ホルダーが5個では足りなくなってきています。カートの上に追加のインスツルメントを載せることによって、周りの環境が乱れてきている現状を見て、すべてのインスツルメントを口に対して定位置に収めることができるようにしました。
情報システムの普及、確立で21世紀の新しい歯科医療をめざす
増原そこで、いよいよ21世紀に入りますので、ビーチ先生が今考えておられる21世紀の歯科医療というものについて、お伺いしたいと思います。
ビーチ20世紀も1950年代ぐらいまでは立位のドクターが座った患者さんを治療する、ハンドピースは低速という、治療技術が停滞したレベルで続いていたわけですが、50年代になって高速ハンドピースが導入されるとともに、スペースラインに象徴されるような新しい診療のシステムが生まれてきました。
それ以来、治療技術が今日まで急速に発展してきたのですが、1985年ごろからパソコンが台頭してきまして、医療の分野でも情報システムの変化と進歩の占める割合が大きくなっています。
1990年代になり、インターネットの使用が盛んになり、ローカル・エリア・ネットワークと呼ばれる院内LANのシステムが生まれて、多くの情報システムが歯科医療の中に入ろうとしていますが、その中で重要な基準が二つあるということを忘れてはならないと思います。
一つは、情報システムでも治療システムでも、人間のインターフェースに適したものかどうかを判断するのは、閉眼テスト(目を閉じたテスト)がベストだということと、もう一つは、情報システムは、まず情報を数字によって分類することが出発点になるということです。
例えば今まで私が歯科診療において紹介してきた、数字による情報の分類の中に、F-1、F-2、F-3がありますが、コンピュータの情報システムの場合にも、情報の構造を決めるには、まず数字による分類が基本になって、いろいろに応用されたものが生まれてくると思います。
F-1、2、3の分類というのは、歯科診療の中でどういう材料、あるいはインスツルメントを使えばベストな治療ができるかということを検討していく場合の、検討する順序を決めたステップなのです。
例えば最初のステップはF-1・1と呼んでいますが、術者と治療の対象である口の中の部位との関係を見る。
それから、術者の指と目の位置関係、視線の確保の関係を見るというのが、次のF-2・2のステップ。
次はドクターと患者さんとの位置関係を見る、これがF-1・2です。
このように、所定の順序で検討していけばベストな答えが見つかるという意味の数字による分類なんですが、この数字による分類と、それから目を閉じて実際にその臨床の条件を自分で動作をしてみるという閉眼テスト、これが基準となれば、21世紀には最適な条件で診療するにはどういう条件がいいかということが明らかになると思います。
私自身は、今は、治療技術の分野よりも、むしろ情報技術の分野での開発・普及をライフワークととらえて、取り組んでいます。
0から9までの数字を基にしているという意味で、私は“ヘルス0-9情報システム”を考案しました。
21世紀には歯科対医科というような区別をなくして、医療をトータルなヘルスケアという視点でとらえていくべきだと思います。
その場合のヘルスケアには看護学とか、薬学とかも含めた、広い意味のヘルスケアが統合された形ででき上がってくるべきだと思います。
21世紀はトータルヘルスケアの時代になる
増原今ビーチ先生が話されたように、21世紀は情報技術(IT)の進歩により、人々はインターネットなどで容易に多方面の医療情報が得られるようになります。
人々はICカードなどで、自分が受けた医療情報を記録するようになると、自分の健康管理が医科、歯科の区別なくトータルに予防的に管理できるようになります。
例えば、小児期にフッ素徐放性の接着性レジンでマイクロ修復をしておけば、中・高年になるまで生活歯のままで管理、保持することが可能になると思われます。
仮に歯冠破折などの症例でも、最新の無機・有機複合材料と接着性レジンで迅速に修復すれば、現在のメタルクラウンによる修復なしで、高齢期までの歯の生存が可能になるでしょう。
現行のメタルを使用する複雑な修復補綴技術は特殊な症例だけに限定されるようになります。
また、歯周病の予防・早期治療が21世紀のメインテーマになり、急速に進むと思われますが、他方、インプラント歯科技術もさらに進んで、高齢期の終末までのメンテナンスが可能になるでしょう。
人生の終末まで、有床義歯の世話にならないで、自前の歯列かインプラント歯列で快適な食生活ができるようになるのが、これからの歯科医療に対する期待になります。
ビーチ先生もご存知のドイツの歯科エルゴノミー(行動学)の研究者Dr.Kimmelによれば、フィッシャー教授と増原による接着性レジンの開発は、50年前のクルツァー社の床用レジンの開発に次ぐ第2の革命であると評価しています。
確かに21世紀の歯科医療では、接着性レジンの活用により、生涯自分の歯が保存できるようになります。それには歯科医療のトータルヘルスケアに対する意識改革が絶対に必要になります。
今年の介護保険の導入により、歯科衛生士による口腔機能の訓練、リハビリが進められて全身の機能が回復した症例報告が増加しています。この例でも、歯科と医科の協力が不可欠なことがわかります。
さらに、21世紀における歯科医療の革命が期待されているのが再生歯科医療です。名古屋大学医学部に新設された組織工学講座(上田実教授)は、幹細胞を増殖して人工的に歯胚を作り、これを顎内で培養して第3代生歯の形成を目指す研究です。
医学領域でも再生医療の研究が急速に進められており、21世紀中に医療革命が起こると期待されています。
本誌の創刊100号にあたって、20世紀の歯科の技術革新が「人にやさしい歯科技術」という発想から生まれたことをビーチ先生との対談で確認できたことを感謝します。有難うございました。
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