104号 WINTER 目次を見る
“世のため人のため、縁の下の力になれ!”
そう励まされつつ、歩き続けた浪花節的半生。
家族も友人も永遠に変わらない心の財産。
目 次
- ≫ 文字通り、一寒村から国際貿易港へ躍り出た港都門司の奇跡!
- ≫ 石炭成り金、沖仲仕、外国船員…。異国情緒が懐かしい昭和30年代の港町界隈。
- ≫ うちわ片手の診察、呼び電話の時代。エアータービンが巻き起こした大革命!
- ≫ 日本人と欧米人の歯牙の違いに衝撃!“一期一会”の人生の面白さ!
- ≫ 学徒出陣で兵器工場の検査工に。汗しつつ覚えたミクロンの世界!
- ≫ 初めての月報を「がり版」刷りで完成!歯科助手学院の設立に奔走の毎日。
- ≫ 全日本健康優良特選校を育てあげ、校医として孤軍奮闘の14年間。
- ≫ 天の和、地の和、人の和。先輩後輩に支えられた最高の人生!
- ≫ 歓声のなかに白球を追い、カメラにも心酔した日々!
- ≫ 家庭と家族が幸せの源泉! 世のため人のために、謙虚に慎ましく生きられれば…。
柳田歯科医院(福岡県北九州市)
柳田千殻先生
やなぎだちから “生まれは小倉、でもやはり第二の故郷なんですよ、門司港は”。
そう懐かしげにほほ笑まれる柳田千殻先生。
近代日本の歩みを見つめてきたレトロな港町で開業されて46年。
その半世紀の時の営みのなかで、町並みや人情はどのように移り変わったのだろうか…。
柳田先生はどのような人生行路を歩まれてきたのだろうか…。
そこには、たぎるばかりの情熱を漲らせながら、青春の日々を駆け抜けた青年の清々しい姿があった…。
その真摯な生きざまに彩られた半生を語っていただきました。
文字通り、一寒村から国際貿易港へ躍り出た港都門司の奇跡!
異国情緒を漂わせる門司港駅。港町・門司の歴史を感じさせる。名物バナナの叩き売りで知られているここ門司は、3年前の平成11年に開港110周年、市制施行100周年を迎えました。その歴史をひもとくと、古代から中世にかけては“門司の関”という海関が設けられた海上交通の要所だったし、源平の壇ノ浦の合戦地も近い。関門海峡を一望する和布刈(めかり)公園に行けば、高浜虚子の“夏潮の今退く平家亡ぶ時も”の句碑が立っていますが、門司の町には、遥かな時を刻んできた海の香りが染み込んでいるんですよ。
この1世紀を振り返っただけでも、門司という港町が辿った繁栄の道は、そのまま近代日本の縮図になっている。そのあたりの詳しい話は、地元の生き字引ともいえる今村元市先生の著作を読むと、よく分かりますね。
明治の初め頃、門司は塩田がどこまでも広がる人気のない一寒村にすぎなかった。ところが明治22年に下関や博多と肩を並べる石炭・米・麦・麦粉・硫黄の5品目の特別輸出港となってからは、三菱、三井の大資本や日本銀行、大阪商船、日本郵船などの船会社、帝国ビール(サッポロビール)、神戸製鋼などの企業が相次いで進出してきます。なんと明治34年には、全国輸出額の2割以上を占める一大貿易港に発展するまでになっているのですよ。
当然ながら、港湾周辺の整備も着々と進んだようで、全盛の昭和6年頃には、欧州航路や大陸航路を就航する大型定期船が出船入り船の賑わいを見せ、門司港は世界でも名だたる国際貿易港へと躍進していったのです。
こんな風に門司港のサクセスストーリーを駆け足で辿ってみただけでも、血が沸き騒ぐ興奮を覚えるじゃありませんか!
石炭成り金、沖仲仕、外国船員…。異国情緒が懐かしい昭和30年代の港町界隈。
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昭和30年代の門司港。 -
現在の門司港。
ところが、昭和16年に太平洋戦争が勃発して、港町の風景は一変してしまいます。門司港は南方戦線の軍事拠点だったので、米軍が機雷投下や空襲を頻繁に繰り返したために、港湾機能は壊滅状態。多数の市民が死に、家々も焼かれ、市街地は焦土と化し、かつての長閑な町並みは見る影もなくなりました。戦争の爪痕は、この港町にも致命的な打撃をもたらしたのですね。
やがて戦後の復興の土音が、町中に高らかに響きわたるまでになりましたけれど、平穏を取り戻しつつあった日々を逆なでるかのように昭和28年6月、記録的な豪雨が町を襲い、未曾有の大水害に見舞われることになりました。でも、私が開業した昭和30年以降は、水族館やめかり公園の整備を皮切りに、大菊人形展が開かれたり、関門国道トンネルが開通したり、戦後北九州で初めて開かれた世界貿易産業大博覧会が大成功をおさめたり…。町の総合開発計画も軌道に乗り始めたので、門司の町は戦災で失っていた活気が少しずつ戻ってきたのですね。
ちょうど30年代中頃というのは、まさに石炭から石油へのエネルギー転換期でもあったので、夥しい数の炭鉱成り金に立ち交じって、沖仲仕や欧米諸国からやって来た船員とか技術者の姿があちこちに見られたし、船乗り(シーメンバー)が立ち寄る酒場が何軒も建ち並んでいましたね。異国情緒を漂わせる、あの舶来っぽい空気は、やはりミナト門司にしかない匂いでしたよ。
門司・小倉・八幡・若松・戸畑の5市が合併して北九州市になったのは昭和38年。それで、ここも市から区に変わっていきました。
うちわ片手の診察、呼び電話の時代。エアータービンが巻き起こした大革命!
私の診療所は港の出入り口にあったので、期せずして欧米人やアジア人の船員や技術者が頻繁に治療に診えました。ところが、当時の診療所といえば、今のような冷暖房設備はもちろんなくて、夏は扇風機が1台、けだるそうにカタカタと回っているだけで、うちわ片手に診察したり、呼び電話がかかる度に慌てて駆け出したりするといった有り様でしたね。
そうそう、昭和34年といえば、ちょうどモリタのエアータービンが国産化された年でしたね…。あの晴天の霹靂といえる医療機器の一大革命が、診療風景や治療の質も一変させてしまった感がありますよ。
日本人と欧米人の歯牙の違いに衝撃!“一期一会”の人生の面白さ!
レトロな雰囲気が漂う門司港駅の切符売り場。外国人の治療を続けていて気づいたことは、いくつかありますが、衝撃的だったのはやはり日本人と欧米人の歯牙の違いでした。欧米人は、丸くてぶ厚いのに対して、日本人は薄っぺらでか細い。しかも、歯牙の差だけでなく、とくに欧米の船員たちはデンタルIQが高く、保険がきかない高額な治療費も躊躇なく払っていました。その反面、イタリアやギリシャ、中国の船員たちの中には、治療費を値切る輩もあったり…(笑)。それにしても、いかにも世界は多種多彩であくまでも広大無辺!と感じながら診療できたのも、門司港で診療に携われたおかげだったと…。こうして考えると、人生はまさに万華鏡、“一期一会”の面白さですね。
こんな経験もありました。体格のがっちりした外国人男性の右上顎3番の治療をしていた時です。私が治療しにくそうにしているのを見て、彼は治療しやすいように治療中ずっと、なんと自分の左腕をグルッと右側に回して、自分の左手で上唇を引っ張り続けてくれたのです。腕の長さにものいわせたということ以上に、微笑ましい彼の人柄に心がなごんだことを覚えています。
学徒出陣で兵器工場の検査工に。汗しつつ覚えたミクロンの世界!
話が前後しますが、半世紀以上も前、戦争が始まると、中学生だった私は学徒出陣で九州兵器という会社の兵器工場の検査工になったんですね。そこで何をしていたかというと、いろんな機械の構造や製作工程をみっちりと覚えたんです。案外、手先も器用だったのでしょうね、その時の経験が後々まで役立ちましたから…。
私が県立医学歯学専門学校(現在の九州歯科大学)に入ったのは昭和20年の春。なんで歯医者になったんだろう、などとしんみりと考えたことはないんです。私は4人兄妹の3番目、姉も妹も結核で亡くなりましたから、母は私を予科練に入れたくなかった。本人は泳ぐのも走るのも苦手というのは承知のうえ。医歯学生は兵役を免除されることは知っていたんですが、一旦は特別幹部候補生の二次試験を京都で受けたんですね。
ところが、8月15日に終戦の玉音放送…。そのまま学校へ戻ったんですが、昭和24年3月に晴れて卒業、その秋に第6回国家試験に受かってしまったんです。
そんなこんなで、あっという間に人生の岐路が定まったというのが実感なんですよ。
初めての月報を「がり版」刷りで完成!歯科助手学院の設立に奔走の毎日。
私が門司歯科医師会に入ったのは昭和29年ですが、思い出深いことが幾つかあります。ひとつは昭和35年3月、それまで発行されていなかった月報を「がり版」刷りで自費出版したことです。月報があるだけで、先生方への情報提供もスムーズになり、先生同士の交流にも一役かうことができたのではないかと思っています。
もうひとつは、門司歯科助手学院(現・北九州歯科助手学院)の設立に同僚たちと力を合わせて奔走したこと。昭和30年代半ばから40年頃にかけては、政府の所得倍増計画によって、日本経済は右肩上がりの成長を遂げており、労働力不足が深刻化。歯科界も同じ状況で、国民皆保険制度のスタート、患者数の増加、診療の多様化などによって、チェアーサイドで補助してくれる助手の不足の解決に、どの診療所も躍起になっていたのです。
歯科助手を教育訓練しながら、診療の質的なレベルアップを図ることが必要になってきたのですね。当時、中学生は“金の卵”の時代。私はこれらの前途有望な卒業生たちをなんとか育成し、診療の質を向上させたいと考えました。
それで、専務理事の時に開校を提案したのが最初ですが、それ以来、設立に向かって一心不乱で突き進んだことが、終生忘れられない思い出です。
全日本健康優良特選校を育てあげ、校医として孤軍奮闘の14年間。
昭和32年から46年までの14年間、錦町小学校の校医に携わりました。幸いにも2年目に県優良校、3年目にモデル校の指定を受け、6年目には遂に全日本健康優良特選校にも選ばれました。その後、全国から教師、保健婦、歯科医師、保母が引っ切りなしに視察のために来校、多忙な日々を送りました。確かに、特選校になると追跡調査を続けながら、その良好な健康状態を維持しなければならなかったので、やりがいもあったのですが、精神的な負担も大きかったのも事実です。
けれど、モリタが診療ユニットを医務室にずっと無料貸与してくれていたので、今でも感謝の気持ちでいっぱいですね。当時の森田大造九州支店長にお世話になったことが、深く心に残っています。
天の和、地の和、人の和。先輩後輩に支えられた最高の人生!
兎にも角にも、我がまま三昧で生きてきました。でも不思議なのは、窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、自分に味方してくれる御仁がスーパーマンのように突如現れるのですからね(笑)。恩師や先輩はむろんですが、同僚や後輩にも恵まれている、それはそれは最高の人生やないですか。
32歳の頃、知り合った三人の男、福岡歯科大学の設立にも大役を果たした笠原稔彦先生、いつも人の陰で誠心誠意、奮闘する情熱家の古賀道則先生、常に縁の下の力持ちに徹する持山彌之助先生…。彼らは歯科医師としての要職をエネルギッシュに全うしているだけでも敬服に値しますが、天の和、地の和、人の和の大切さを身をもって実践している男たちなんです。私にとっては、“麦飯さえあれば、阿吽の呼吸で気持ちよく働いてくれる”生涯のよきパートナーであり親友でもあるんですね。
自分の常識だけで人を判断しない!石橋は叩くためではなく、渡るためにあるのだから、可能性があるなら、とことん可能性に向かって行くんだ!そんな心意気を学んだのも、彼らの生きざまからなんですよ。
歓声のなかに白球を追い、カメラにも心酔した日々!
優勝回数9回の「柳田クレーブス」。柳田先生は、前列、左から3人目。趣味ですか…。戦時中はご法度だった野球です!戦後に復活してからは大学の野球部でよくやりましたね。部活動していれば「落第なし!」ですから(笑)。ポジションはセカンド、いつも下位打線6~9番でしたけれど…。全国大会は九州代表で出場して、松山大学に4-1で敗退。西日本の決勝に勝ち残ったこともあったんですがね。
門司では軟式野球チーム(サンデーベースボール)を作って、何度かチャンピオンにもなりました。野球といえば、メジャーで大活躍のイチローや佐々木のエネルギッシュな貢献度は絶大です。一投一打があれほどの感銘を呼ぶのですからね!
実は写真も好きなんです。中学時代からローライフレックスで撮ってましたよ。あのモノクロ写真のシズル感に魅せられたのでしょうね。兄が朝日新聞の電送スタッフだったのですけれど、やはり兄の影響が大きかったと思っています。
家庭と家族が幸せの源泉! 世のため人のために、謙虚に慎ましく生きられれば…。
何が幸せかといっても、一日三食メシがゆっくりと食べられる家庭という日だまりがあって、家族の笑顔があってこその幸せですよね。仕事も趣味も遊びも、それがなければ何も始まらないですから…。
医者の不養生っていいますが、私たちの時代は、自分の生きざまをそのまま晒しながら生きながらえていた時代ですから、健康とか養生とかに捕らわれたくない。要はあるがまま、生きるがままの人生なんだと…。
けれど、今でも若い先生方から学ぶこと、教わることはたくさんありますね。それがずっと刺激になっているのですから。医師過剰の時代だからこそ、先生同士で切磋琢磨し合い、たくましく生きなければと思います。
歯科医師という仕事は、人生を賭けるに値する素晴らしい天職なんだ!だからキミも胸を張って進め!っていえるようになればいい。歯科医師の社会的なステイタスがもっと上がればいい。いつもそう願っているんです。
“ローマは一日にしてならず”といいますね。私は半世紀かかって、世のため人のために、謙虚に慎ましく生きること、それが人生の真の価値なんだ、ということが少しは分かった気がしているんです。
写真資料提供:柳田千殻 北九州市門司区役所刊「門司百年」
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