192号 SPRING 目次を見る
目 次
- ≫ がん患者の退院後に求められる口腔機能管理
- ≫ 病院における周術期等口腔機能管理の実際
- ≫ 歯科診療所で注意したい晩期障害
- ≫ 口腔がんの手術後に生じる口腔機能障害
- ≫ 終末期の患者さんへのアプローチ
- ≫ 包括的な病診連携の構築に向けて
- ≫ 地域から病院、そして再び地域へ
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国立大学法人
島根大学医学部歯科口腔外科学講座・島根大学大学院医学系研究科
島根大学医学部附属病院 歯科口腔外科/口腔ケアセンター
講師・医局長・歯科衛生士
松田 悠平
島根大学医学部歯科口腔外科学講座の講師である松田悠平先生は、口腔がんに関する臨床疫学の研究者であり、同学部附属病院 歯科口腔外科/口腔ケアセンターの医局長を務める歯科衛生士でもあります。2012年の診療報酬改定で新設された周術期等口腔機能管理について、保険収載から十数年が経ち、現場から見えてきた課題を伺いました。
がん患者の退院後に求められる口腔機能管理
周術期等口腔機能管理が診療報酬に保険収載されて以来、関連した多くの研究が行われ、周術期における口腔機能管理が各種全身疾患を治療する中での口腔のトラブルや手術後の合併症の予防に有効であることが広く知られるようになりました。今では周術期等口腔機能管理は歯科口腔外科が併設された病院を中心に取り組みが進められ、その一端を担っていただく地域の歯科診療所も増えつつあります。
一方で、現在課題となっているのが、がん患者の退院後における口腔機能管理の問題です。高齢化を背景にがん罹患者数が増加する中、医療技術の進歩から、多くのがんで生存率が向上しています。これは周術期等口腔機能管理を必要とする患者さんの増加を意味するとともに、治療を終えたあとも何かしらのダメージや後遺症を抱えながら社会復帰をする人が増えている可能性を示唆しています。
がん治療を終えた患者さんの中には、長期的あるいは生涯を通じて口腔の定期的な管理が必要になる方も少なくありません。そのため、今以上に病院と歯科診療所との包括的な連携が求められています。とりわけ、日常業務として口腔衛生指導やPMTCを行う地域の歯科衛生士の役割は、とても重要であると言えます。
ところが、実際に周術期等口腔機能管理に携わっている歯科衛生士は全国にどれほどいるでしょうか。厚生労働省が公表する「令和4年衛生行政報告例」によれば、歯科衛生士の数は全国で約145,183人、そのうち「歯科診療所」を就業場所とする歯科衛生士は130,806人です。一方で、日頃から周術期等口腔機能管理を行うことが多い「病院」に勤務する歯科衛生士は7,460人で、全体の5.1%に過ぎません。ほとんどの歯科衛生士にとって、がん患者の口腔機能管理を行う機会は極めて少ない状況だと言えます。
病院における周術期等口腔機能管理の実際
私が所属する口腔ケアセンターは、口腔の管理業務に特化した診療支援施設です。集中治療中や手術前後の口腔衛生管理、がん治療中の口腔有害事象への対応、摂食嚥下リハビリテーション領域などのサポートを主に行っています。対象となるがんの領域は頭頸部、消化器、呼吸器領域が主ですが、がん以外にも血液疾患や脳血管障害、心臓疾患、腎臓移植、人工関節などの手術を行う患者さんも対象となることがあります。
がんの治療は外科療法、放射線療法、抗がん剤治療が三本柱と呼ばれています。外科療法では手術部位感染や口腔内細菌が気管チューブを伝って引き起こす人工呼吸器関連肺炎を防ぐことが周術期等口腔機能管理の役割として求められています。
抗がん剤治療や頭頸部放射線治療については、副作用として口腔粘膜炎がよく知られ、症状が進行すると、強い痛みや出血などを生じます。特に抗がん剤の投与量や投与スケジュールなど、緻密な治療計画のもとで実施されます。口腔粘膜炎などにより治療計画に変更が生じると、治療の効果、治療の予後に影響を与えかねず、症状が強い場合には治療の中断も余儀なくされます。こうしたトラブルを防ぐためにも口腔衛生管理を行うことが大切です。
その他、口腔内細菌が、がん治療に悪影響を及ぼすケースとは異なりますが、脳卒中の方の麻痺や口腔がん患者の手術後の摂食嚥下領域などに対する指導、サポートも周術期における歯科衛生士の大切な仕事になります。
県内唯一の特定機能病院として地域医療に貢献する島根大学医学部附属病院。口腔ケアセンターは2019年より運用が開始された。
松田先生の研究室がある第二研究棟。勤務時間の半分はこの研究棟で過ごしているという。
歯科診療所で注意したい晩期障害
口腔がんや頭頸部がんの手術歴がある患者さんを受け入れている歯科診療所の先生や歯科衛生士の方々に注意していただきたいのが晩期障害です。口腔がんの治療が終わったのちにも数年もしくは生涯にわたって、治療の副作用として健康障害が生じることがあります。その代表的なものが唾液腺障害です。口腔周辺の放射線照射によって唾液腺がダメージを受けることで引き起こされ、唾液の減少が原因で多発性う蝕や歯周病の進行が一気に進むことがあります。定期的に歯科医療と関われていない患者さんの場合、本当にあっという間に口腔内がボロボロに崩壊してしまいます。
顎骨壊死も晩期障害として気をつけたい症状のひとつです。何かのきっかけで骨に炎症が起こると、放射線照射や抗がん剤の副作用によって、壊死にまで進行することがあります。特に顎骨に感染が及ぶほどのう蝕や歯周病は顎骨壊死の発症リスクとなります。したがって、治療を終えたあとも一般的な定期受診による歯科予防処置で口腔疾患を予防しておくことは重要となります。
そのほか、抗がん剤治療の影響で末梢神経障害が起こり、知覚過敏や味覚障害が発症することもあります。
また、がん治療とは異なりますが、人工弁置換術などの心臓手術を受けた患者さんや人工股関節置換術を行った患者さんも、口腔内細菌が血液中に侵入して、人工弁や人工関節部に到達すると感染症を引き起こすことがあります。
いずれの晩期障害も口腔内の健康を維持すること、う蝕などがあれば、こまめに治療することが予防の一環となります。万が一、発症した場合は早期に対処することが肝心です。
口腔がんの手術後に生じる口腔機能障害
がん治療の歴史を紐解くと、古くは生存率をいかに上げるかに力が注がれた時代がありました。当時は再発や転移を予防する目的で、がんとその周囲を大きく切除する拡大手術が一般的に行われていました。しかし、QOLの著しい低下を招くことへの反省から、1990年頃からは、身体になるべく負担がかからない治療法を選択することが主流となりました。ところが、口腔がん治療では治療部位が口腔そのものであること、器官としてのサイズが小さいため、特に口腔機能が低下しやすいがんの1つとされています。
基本的に口腔がんの治療は外科療法が第一選択となることがほとんどです。がんの大きさが比較的小さい場合は、がんの周囲に余裕をつけて1cmマージンを安全域として切除します。がんが歯肉や口蓋にある場合には、骨を含めた切除を行います。
ところで、口腔内における1cmマージンとは何を意味するでしょうか。罹患者数が多い部位である大腸や肺における1cmマージンと口腔内におけるそれとの差異を想像してみてください。大腸や肺と比較し、口腔にとっての1cmマージンはそれ相応の範囲を占めることになります。
加えて、上顎を切除すれば、口腔、鼻、副鼻腔の交通が生じ、舌を切除すれば、再建が必要になることもあります。そのため、口腔がんの手術は咀嚼障害や嚥下障害、構音障害、さらには顔貌の変形をきたすことがあります。「自分の口の中が怖くて見られない」「手術前と手術後では口の中が別物のように感じる」、手術を終えた患者さんのほとんどがそうおっしゃいます。
この口腔がん手術によって引き起こされる口腔機能障害は、精神的にも日常生活的にも、そして社会生活的にも多大な影響を与え、QOLを著しく低下させます。周術期における歯科衛生士の役割は、清掃面でのサポートや感染症の予防のみならず、変わってしまった口の中を早く慣れさせ、精神的、社会的な面を含めて社会復帰を目指すお手伝いをすること、それも大切な仕事になります。
研究室での様子。さまざまな口腔がん患者のデータを臨床疫学的な視点で分析を行っている。
医学部や看護学科の学生に指導を行っている様子
歯科で注意したい口腔がん、頭頸部がんにおける主な晩期障害
終末期の患者さんへのアプローチ
口腔がん治療の三本柱とは別のケースとして、緩和ケアの患者さんに対しては、また異なるアプローチが必要になります。一般的に病気は治療をすれば良くなります。しかし、緩和ケアに入ると症状は日に日に悪くなり、患者さん自身もできないことが増えていきます。
セルフケア能力が低下した患者さんに口腔衛生管理を行うことで、QOLの維持や改善をはかることは大切です。しかし、それと同じくらいに重要 になるのが、ご家族とのコミュニケーションです。もしも、ご家族が負担に感じないようであれば、口腔ケアのやり方をお伝えし、一緒に行うことを提案します。特に看取りが近くなると、ご家族がお世話できることにも限りが出てきます。医療的な処置が行われる回数も増え、その間は何もできずに、ただ見ているだけという場面も珍しくありません。
一方でご家族の多くは、最後に何かをしてあげたいと考えるものです。こうした時に、口腔に関するすべての処置を歯科衛生士が行う必要はありません。完璧な口腔ケアができなかったとしても、あえてご家族に手伝っていただくことで、ご家族も現状を受け入れ、納得することがあります。それはいわゆるグリーフケアと呼ばれる、残されたご遺族の心の立ち直りにつながるサポートの一環だと考えています。
ご家族とのコミュニケーションが重要になるもうひとつのケースが小児患者の周術期における対応です。お子さんが入院する場合、親御さんは付きっきりになることがあります。多くの親御さんは自分のこと以上に心配されるため、精神的に大きな負担が生じます。そうした親御さんに対する配慮も歯科衛生士に求められるコミュニケーション能力のひとつです。
また、注射などで痛い思いが続くと、歯科衛生士にさえ、触られることを嫌がり、顔を見ることすら拒絶するお子さんがいます。そうした場合には、親御さんに口腔ケアなどを依頼することになります。患者であるお子さんとの信頼関係はもちろんのこと、親御さんとの信頼関係の構築も、また大切になります。
包括的な病診連携の構築に向けて
前述したように、より有用な周術期等口腔機能管理を実践するためには、病院と歯科診療所との連携は不可欠です。近年、医科歯科連携の取り組みは多くの医療機関で進められるようになりました。今後は病院と歯科診療所による「病診連携」の取り組みが必要性を増し、着目されるようになるものと考えています。そこで重要になるのが歯科医師の先生方だけではなく、地域で活動する歯科衛生士の周術期等口腔機能管理や口腔がん、全身疾患に対する知識です。
例えば、当院歯科口腔外科/口腔ケアセンターでは「開かれた総合病院」を理想の1つとしており、歯科医師や歯科衛生士の方々の病院見学を広く受け入れています。患者さんが実際にどんな病院で、どんな治療を受け、どんな医療スタッフがサポートを行い、そして地域の歯科診療所へと戻って行くのか。そうした一連の流れを実際に目で見て、イメージをつかむことが、歯科診療所の日々の診療業務にも役立つものと思います。また、病院の医師と歯科診療所の歯科医師、さらには、それぞれの施設に勤務する歯科衛生士同士が顔の見える関係性を築くことは、患者さんにとって施設を行き来する際の安心感につながり、歯科医療からの離脱を防ぐことにも貢献します。
病院見学については、当院に限らず、さまざまな病院で実施しています。ぜひ、機会が許せば、地域にあるがん診療連携拠点病院に見学に行かれることをお勧めします。
歯科衛生士による病診連携に関して、最近、日本歯科衛生士会が始めた取り組みがあります。歯科医師の先生が作成する「診療情報提供書」に同封することを念頭に置いた「歯科衛生士連絡書」です。これは病院と歯科診療所の歯科衛生士間での情報共有を目的としたもので、診療情報提供書にはあまり載ることがない食事の工夫や歯磨き時の注意点など、歯科衛生士の業務に必要な情報を記載する連絡書です。歯科衛生士同士の小さな連携ですが、患者さんにとってはQOLの向上につながる大切な情報共有になります。まだ始まったばかりの取り組みではありますが、こうしたツールを活用することで、将来、より有用な連携が行われるようになるのではないかと期待しています。
歯科口腔外科/口腔ケアセンターの受付と待合室
周術期の患者さんに口腔ケアを行う松田先生
入院患者さんの口腔ケアを行っている様子
地域から病院、そして再び地域へ
手術前の口腔管理ではプラークや歯石の除去のみならず、歯科医師によるう蝕に対する治療や、必要であれば抜歯も行います。それは感染源となり得るリスク因子をしっかりと取り除くためです。実は、周術期に徹底した口腔管理を実践するためには、日頃からう蝕や歯周病の治療、予防が大切です。歯科診療所で働かれている歯科衛生士の皆さんには、普段のPMTCや口腔衛生指導が、未来の病気発症時の合併症リスクの低減や治療成績の向上に寄与することを意識していただけると嬉しく思います。
そして、治療後の患者さんを診る際には、粘膜や舌も含めた口腔内全体をよく観察していただければと思います。口腔のすべてを広く観察することは、晩期障害に対する早めの対処にもつながります。
病気が発症する前のかかりつけ歯科での通常診療、病院における周術期管理、そして再びかかりつけ歯科へ。そうしたバトンの受け渡しが、今以上に活発に、そして包括的に行われるようになることを、周術期等口腔機能管理の現場に携わる歯科衛生士として願っています。
他院から歯科医師、歯科衛生士が訪れ、見学をしている様子
日本歯科衛生士会が公開している「歯科衛生士連絡書(周術期)」の記入例。歯科衛生士同士の情報共有のために活用されている。-
松田先生のお話は「DENTAL LIFE DESIGN
」でもご覧いただけます。
デンタルマガジンで載せられなかったお話も掲載。
ぜひそちらもご一読ください。
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