184号 SPRING 目次を見る
Close Up
通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたいー「最後の歯医者」としての食支援ー
目 次
- ≫ それでも口から食べたいと願う
- ≫ 痩せていく避難所の高齢者たち
- ≫ 放置された在宅の患者さんたち
- ≫ 経管栄養でも「食べられる口」へ
- ≫ 外来診療との違い
- ≫ 入店を断られた“飲み友だち”
- ≫ 食事の楽しさを思い出したお客さん
- ≫ 料理長との連携も他職種連携の一環
- ≫ 私にとっての“最後の晩餐”
- ≫ [Interview] 『甚三紅』の石川満料理長に嚥下調整食についてうかがいました。
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東京都文京区
おはぎ在宅デンタルクリニック
院長 萩野 礼子
自らを「食いしん坊歯科医」と称する『おはぎ在宅デンタルクリニック』の萩野礼子院長は日本料理店のオーナーという顔も併せ持ちます。なぜ歯科医師が飲食店を経営するようになったのか。そこには20年来、訪問歯科診療に携わってきた萩野先生の確固たる想いがありました。
それでも口から食べたいと願う
「“最後の晩餐”にはあなたなら何を食べたいですか」。フレンチや中華、おいしい料理はたくさんありますが、訪問先で圧倒的に聞かれるのが「うなぎ」と「お寿司」です。
先日も入院中に経管栄養となった高齢患者とそのご家族から、「もう一度、うなぎが食べたい」という相談を受けました。誤嚥性肺炎のリスクがあったものの、主治医と相談した上で、義歯を製作し、うなぎを食べられるようにしました。その後、その方は亡くなられましたが、ご家族は最後に希望する食べ物を口にできたことに、とても満足されていました。
誤嚥性肺炎のリスクを理解した上で、なおも口から食べたいと願う患者さんはたくさんいます。口腔は食べることに直結する器官ですから、本来であれば歯科は看取りと深く関わりのある仕事です。最終的に食べられなくなっていく過程で、どのように緩やかに着地させるのか。どんな食支援がふさわしいのか。そんなことをよく考えます。
痩せていく避難所の高齢者たち
私が“食”に興味を持つきっかけとなったのは高校生の時に経験した阪神淡路大震災です。幸い、自宅の被害は小さかったものの、しばらく自宅待機が続いため、「私にも何かできることはないか」と、避難所に食べ物を運ぶ手伝いを始めました。
ところが、しばらくすると冷めてかたくなったおにぎりや揚げ物をうまく食べられない高齢者がたくさんいることに気がつきました。そして、日に日に痩せていくその方々を見て、もどかしい思いを抱いていました。
しかし、避難所の高齢者たちも炊き出しの温かい食べ物であれば食べることができました。そして、そうした食事の際には皆、笑顔になりました。生きていく上でいかに食が大切であるのかを目の当たりにした体験でした。
放置された在宅の患者さんたち
大学院では顎顔面補綴学を学びました。近年、がん患者の予後が改善された反面、手術後に起こる障害によってQOLが著しく低下する患者さんが増加しています。例えば、頭頸部がんは日本人のがん全体の5%が罹患し、その多くで手術後に上顎欠損が生じます。口腔、鼻、副鼻腔の交通により咀嚼や嚥下の障害、鼻咽腔閉鎖不全や発音障害などで苦しむ患者さんが増えているのです。そのような方であっても口から食べられ、発話が問題なく行える顎義歯を製作することが大学院での主な研究でした。
顎義歯製作には教科書的なものがなく、患者さんの欠損状況に応じてさまざまな創意工夫が必要になります。例えば、オペの影響で拘縮して口が開かない患者さんの型取りを行うために、印象トレーを半分に割って使うのですが、それをぴったり戻すためにこの場所にどういう器具をつけるかを考えるといったことです。でも、なんでも自分で考えてチャレンジするプロセスが私には向いていたようで、常に楽しみながら取り組むことができました。
大学院時代、あることをきっかけに通院できなくなり、1年ぶりに来院された患者さんがいました。口腔内を診るとひどい状態です。「歯科医療からたった1年離れるだけで、ここまでひどくなるものなのか」とあらためて感じました。偶然にもその方の自宅は外勤していた歯科医院の近くだったため、「ご自宅で診ましょうか」と提案しました。このときの患者さんが私にとって初めての在宅における顎義歯製作でした。
在宅の上顎欠損患者の中には顎義歯が合わず、ガーゼを詰めたまま一生を過ごす方がいらっしゃいます。また、上顎欠損ではなくとも食べられない口腔のまま放置されている患者さんもいらっしゃいます。そうした方たちの「食べる喜びを支えたい」という想いから『おはぎ在宅デンタルクリニック』を開業しました。
経管栄養でも「食べられる口」へ
訪問先の高齢者の多くは顎堤が退縮しています。そのため、いわゆる“教科書どおり”の義歯ではうまく咀嚼ができず、発話さえ難しい方もいます。あるいは、誤嚥性肺炎を起こしたことで経管栄養となり、義歯を外してしまう方もいます。そうした方たちは口腔の筋肉や舌を動かさなくなるため、自浄作用が低下し、口腔内に痰や痂皮が溜まりやすくなります。結果的に誤嚥性肺炎のリスクが高まるという悪循環をよく目にしてきました。
そのような患者さんであっても義歯を調整したり、新しく製作したりすることで「食べられる口」へと戻ると低栄養が改善され、元気を取り戻します。中には寝たきりだった方が外出を楽しめるようになることもあります。そして、きちんと咀嚼ができることで唾液の分泌量も増え、自浄作用も高まります。訪問診療では口腔ケアが大きな役割を果たしますが、口腔ケアをしやすい口腔環境を整えるという点でも適合した義歯の調整・製作は重要な意味を持つのです。
外来診療との違い
訪問診療は外来と異なり、治療に何日もかけられません。それは高齢の患者さんの場合、体調が急変することがあるためです。むし歯を治すよりも、まずは義歯を入れて食べられる口にすることの方が大事な場合もあります。
もう一つ、外来診療との大きな違いは相手のテリトリーに出向く点です。訪問の時間を相手に合わせることはもちろん、歯科ユニットがないため、診療姿勢も患者さんの姿勢に合わせます。相手のテリトリーではさまざまな都合を相手に合わせる必要があるのです。
その一方でいろいろなことが見えてきます。例えば、普段の食事の状況が分かるので、噛み方や姿勢の的確な指導が行えるようになります。あるいは壁にポスターが貼ってあれば、そこから趣味を知ることができ、会話のきっかけになることもあります。ご家族とのコミュニケーションを含めて、訪問診療では何気ない会話も信頼関係を築くための大事なポイントです。
訪問先で苦労することの一つに認知症患者さんの対応があります。ともすると介護者であるご家族も認知症の場合があるため、こちらの説明をすぐに理解してもらえない時には、根気よく対話を重ねます。また、治療中に指を噛まれることもあります。認知症の方は突然、口を触ると恐怖心から噛んでしまう方が少なからずいらっしゃるのです。まずは同じ目線の高さで話しかけ、握手をするなど体の遠心から触れるようにして、相手の緊張を解きほぐしてから治療を始めるようにしています。
顎義歯製作中の様子。萩野先生は様々な創意工夫をこらし、この顎義歯を訪問先で製作してしまう。-
可搬式歯科ユニット『ポータキューブ』を使った治療中の様子。「コンパクトで持ち運びに便利、パワーもあるので訪問先でブリッジ切除なども問題なくこなせます」と高評価。 -
「患者さんやご家族とのコミュニケーションのきっかけづくりに」とユニークながらやデザインのソックスを何十足もお持ちとのこと。
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